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Tenko Kisaragi

いつまでも”介護”はできない。手放すとき・・・

2024年03月3日

2月に1週間のショートステイから帰ってきてから、
父親の認知症が進んでいるのか、老化が進んでいるのか?
どっちも結局は同じことなのか?

介護を考えると、もう無理だ・・・と感じる。

目を離せない。

こういうのも苦痛っていうのだろうな。

子供なら、大きくなるし、賢くもなるし、どんどん手が離れていくのに
介護とは、どんどん手がかかるようになっていくこと。

1月の初めに、要介護3となったことで担当者会議をしてもらった。

ショートステイに行っている施設からもきていただいて話をしたのだけど、
「3になったら、申し込んでいただけるかと職員とも話をしていた」
とのことだったから、即座に申し込みますと答えた。

ケアマネが数日で書類を作ってくれたので、1月のショートステイの時には申し込むことができた。

で、1週間ほどで帰ってきた父親に、いつもの送り迎えの人プラス担当の人プラス
「一歩進んで、面談をしていただけたら・・・」
と、その担当の方も来てくださって、顔合わせをすることができた。

面談?

申し込むと、みんな、面談なんかするのかなぁ?

それより、期待大にしても良いってこと????????

特別養護老人施設。
介護度の高い人ばかりだと、職員さんも大変だから、適度に介護度の違う人を散りばめるらしい。

父親は、その性格から施設ではデイサービスでもショートでも、人気者。

老人特有の気難しさがなく、誰にでも明るく話をする。

その話の内容は、なんてことない話なんだけど、ちょっと大柄な部分もありつつ、
施設では扱いやすい人らしい。

ケアマネも「施設向きの人です」なんて言ってた。

家にいると、どうしても私たちの方がイライラしたり、腹を立てたりするのだけど、
施設にいれば、みんな優しく話を合わせてくれるし。
何より、人と話をすることができるのが良いと思う。

ただ、特養では見守りが主になるので、デイサービスでやってもらったような運動などはないらしい。
そのため、動かないから認知症は進みますと言われた。

面談に行った時に部屋を見せてもらったけど、
やっぱ、ちょっと感傷的になる。

戦前に生まれて、戦中を生きて、戦後は自分の思いはどうあれ戦後復興の人員として
高度経済成長の只中で仕事をし、ある程度の役職にもついて、結婚もし、家も建て、子供もいる。
頑張って日本を支えてきた人なのだけど、最後はこの一部屋か・・・と思うと。。。ね。

でも、もう認知症が進んで、要介護3にもなり、数年前の父親に戻るわけはなく・・

長く生きすぎちゃったんだね・・・と思うことにする。

かわいそうだな・・・とか、気の毒だな・・・とか、申し訳ないな・・・とか感じたりはするけれど、
残り少なくなってきた自分の人生も大切なのです。
心を鬼にしなくても、施設に送り出すことはできる。
そんなことも、ごめんね・・・と思いつつ。
特養からの知らせを待つ、今日この頃でした。

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